サッカー

約束の場所へ・・・人生初の強烈な警報が頭の中で鳴り響いた・・・

こんにちは。
必死に張り切る ひしはり です。

今日は頭の中で「人生初の強烈な警報」
鳴り響いた体験記をご紹介したいと思います。

この体験記は今現在、
目標としている手に入れたい夢があるけれど
なかなか具体的な行動を起こせていないといった方に
ぜひ、読んでもらえたらと思います。

 

警報の画像

 

人生を変えたサッカーマンガ「キャプテン翼」

 

それではさっそくご紹介して行きますね。

今から30年以上前になりますが、
私が小学校3年生の時に同じクラスに
ある転校生が転校して来ました。

その子とはすぐに友達となり
さっそくその子の家に遊びに行った訳です。

仮にA君としておきます。

初めて遊びに行ったA君の部屋には、
たくさんのマンガの単行本や子ども向けの
小説などがところせましと並んでいました。

A君のお父さんがマンガ好きという事もあって
あまり本屋さんで見た事のない様な
変わったマンガもたくさん置いてありました。

まず最初に思った事は、
「大人もマンガを読むんやな」という事でした。

というのもウチの父親はマンガなど
一切読まなかったですし、
逆に厳しい父親だったので
マンガが家に置いてあるだけで
怒られる様な勢いでしたから。

興味津々でそんな本棚を見回していた
私の目にあるタイトルの漫画が
目にとまりました。

それがその後の人生に
大きな影響を与える事になる
「キャプテン翼」という
サッカーマンガとの出会いでした。

おもむろに手に取って
パラパラと読み出したら
これが面白いのなんのって、
さっそくA君にお願いして
3巻くらい借りて帰ったのをおぼえています。

私と同じくらいの世代の方で
サッカーをされていた方なら
みなさん例外なくキャプテン翼に
影響されていた事だと思います。

それくらいサッカー少年から
絶大な人気がありましたからね。

 

サッカーボールの画像

 

15歳で経験した人生最大の挫折

 

そんなキャプテン翼というマンガに出会ってから
私は「プロサッカー選手になる」という夢を
持ちました。

小学生時代、中学生時代、高校生時代
すべての世代で10番を背負い
チームの司令塔として仲間とともに
汗を流しました。

高校受験では公立はA校、私立はB校と
どちらも県内で有名なサッカー強豪校を受験しましたが、
願書の書き方が間違っていたという
よくわからない理由で地元の公立高校に飛ばされました。

その地元の高校はサッカー弱小校で
さらに制服の色がダサすぎて、
子どもの頃から絶対行きたくないと
思っていた高校でした。

つまり私の高校受験は、
A校とB校を受験したにも関わらず、
C校に飛ばされるという前代未聞の運命のいたずらに
翻弄されてしまった訳です。

この精神的ダメージは大きかったですね。

プロサッカー選手を目指して
ずっと努力して来て道筋として最適なのは、
A校かB校に入って全国大会に出場する事だと
思っていましたからね。

今、振り返ってみてもその後の人生で
他にないくらい人生最大の挫折感でしたね。

それを15歳の春に経験した訳です。

しかもこの話にはさらに
神様が追い討ちをかけます。

それは合格発表を見に行こうと
友人数人で発表場所の高校に向かっていた矢先に
すでに合格発表を見て帰路についていた
同じ中学のクラスの女子とばったりあって
その子の口から聞かされてしまった事です。

「あー〇〇君! あんたC高校やったで〜」

「・・・・・」

いまだにその時の光景は目に焼き付いています(笑)

(A校じゃなかったんや、しかもC校って・・・)
(しかもそれ今言う?・・・)

正直いろいろショック過ぎて
頭が追いつかなかったですね。

でもここでは人生最大の挫折感を味わいながらも
頭の中で警報はならなかったんですね。

その後、合格結果をサッカー部の顧問の先生に
報告に行った時にその先生から叱咤激励を受け
背中を押してもらい前を向く事が出来ました。

「こうなったらC校でトップ取ってやる!
 C校で勝ち進んで名前を売ってやる!」と。

 

プロになるために海外へ

 

結果、1年生の夏から3年生世代で
レギュラーの座を獲得し技に磨きをかけました。

時は流れ高校3年時の最後の大会で
県内で準々決勝まで勝ち進み、
最後は延長戦の末、
PK合戦で敗れてしまいました。

それでも弱小高校であったにも関わらず、
自分たちの代はチームメイトに恵まれ
シード権も獲得し最高のパフォーマンスが
出来たと思っています。

その後、チームメイトや友人たちは
進学や就職に向けて活動する中、
私は長年の夢であった海外へのサッカー留学を
真剣に考え始め準備し出しました。

小学校6年生の時の
卒業アルバムにも将来は海外へプロを目指して
サッカー留学すると書いていましたからね。

当時はまだ日本にプロリーグもなく
日本リーグの実業団でプロ契約して
プロサッカー選手として活躍している選手も
数えるほどしかいませんでした。

プロになるには海外へ行くしかないと
漠然と思っていましたので
私の中では自然な事でした。

 

母の容体が悪化!海外留学を断念

 

点滴の画像

 

しかし卒業まで数ヶ月を切った頃に
難病で入院していた母親の容体が
悪化して危篤状態と言われてしまいました。

母親は私が中学に上がった頃から
国の難病に指定されている「膠原病」の1種をわずらい
数年にわたり入退院を繰り返していました。

幸いその時は何とか持ち直しましたが、
母親がそんな状態の時に日本を離れるなんてと
今は亡き祖母からも非難されました。

祖母からしたら
「サッカーなんかただの玉けり」という
思いだったでしょうし、実際に
「日本で認められへんもんがなんで外国で認められんねん!」
言葉でも言われました。

ただ私自身は自分のサッカー選手としての
実力に自信もありましたし、
チャンスさえ与えられれば、
結果は出せると思っていましたから
くやしくて仕方なかったのをおぼえています。

自信があるというのも
けっして独りよがりな自信ではなく、
客観的なまわりの意見や評価も加えての事です。

しかし明日すらどうなるかもわからない母を残し
自分の勝手な夢のために海外へというのは
正直踏み出す事が出来ませんでした。

その旨を母に伝えると

「男やったら母親が死のうがどうしようが
自分のやりたい事に向かって突き進まなどうすんねん!」

と叱責されましたが、
その時の私には
いろんな思いを振り切って
日本を離れる事は出来ませんでした。

 

専門学校で運命的な出会いをするも4ヶ月で中退

 

その後、急遽進路変更をし
サッカーに力を入れている隣の県の
専門学校に進学する事にしました。

そしてその専門学校で一人のコーチと
運命的な出会いをします。

サッカー先進国から日本に帰化した
元日本代表選手のBさんです。

しかし結局Bさんには実力を
買ってもらっていましたが、
監督とどうにも反りが合わず、
わずか4ヶ月でその専門学校を中退しました。

19歳の夏の事です。

理由は「このままいたら自分の才能を潰される」
危機感を抱いたからです。

その監督はまだ大学を出たての若い監督で
データ重視のインテリサッカーを理想としていて
私が今までやって来たサッカーとは
まったく別物だったんですね。

 

流され続けた日々

 

そこから夢への道筋が見えずに
1年半以上まわりに流され続ける事になります。

けっしてまわりに責任があるとか、
まわりがどうこうではなく
自分の弱さがすべての原因でした。

実家にはもう居場所がなかったので
地元で一人暮らしを始め、
日々、バイトと遊びで楽しさに
飲まれて行きました。

中古で車を買い酒もおぼえ、
やめていたタバコも吸うようになり、
彼女も出来てもうサッカーへの情熱は
消えかかっていました。

毎晩の様に彼女や友人たちと遊び歩き
それはそれでいい思い出ですが、
自分の中ではずっと心の奥の方で
引っかかっているものがありました。

彼女との付き合いが長くなればなるほど
将来の結婚を意識する様にもなりました。

しかしこんな夢を投げ出した男に
本当に一人の女性を幸せにする事が出来るのかといった
疑問も自分の中でどんどん大きくなって行きました。

母親の状態は落ち着いていましたが
変わらず病院のベッドの上で
寝たきりの状態でした。

 

人生初の「警報」が鳴り響いた夜

 

そんな楽しくも流され続けていた日々に
ある日、1つのきっかけが起こりました。

 

ここでついに鳴りましたよ!

 

人生初の強烈な警報が!

 

それは高校時代からバンドを組んで
音楽活動をしていた友人のライブに
彼女といっしょに見に行った時の事でした。

 

ライブの画像

 

彼らと会うのは
高校卒業以来でした。

彼らもプロを目指し地元でライブ活動を行なうかたわら
各地にオーディションを受けに行ったりと
精力的に活動していると聞きました。

ライブが始まったと同時に
身体中に鳥肌が立ち
頭の中で強烈な警報が鳴り出しました。

現在進行形で夢を追っている彼らと
夢を忘れかけていた自分との大きな差を
全身で感じずにはいられませんでした。

ライブが終わり楽屋に挨拶に行かせてもらったのですが、
その時の彼らの姿を忘れる事はないでしょう。

そこにあったのは、
夢に向かってやるべき事をやっている男の
清々しい汗と笑顔でした。

彼らと握手を交わしたその時も
私の頭の中では警報が鳴りっ放しでした。

「こいつらは自分の夢に向かってこんなに頑張っとんのに
それにくらべて今の俺は何してんねん!」

心が自分自身への自己嫌悪で埋め尽くされ
彼女といっしょにライブ会場をあとにしてからも
しばらくは放心状態でした。

あまりにも彼らがその時の自分とくらべてまぶしかった。

そのライブ会場から地元までは、
距離にして10km以上ありましたが
その10km以上の道のりを
彼女と二人歩いて帰りました。

その日、私が感じた思いを彼女はずっと
歩きながら聞き続けてくれました。

そして頭の中でスイッチが切り替わりました。

それまで心の奥の方で消えかかっていた
夢へのスイッチが入り、
止まっていた時間が再び動き始めました。

「2年近くを棒に振った。
 自分の夢に間に合うかどうかわからんけど、
 やっぱり俺はプロを目指して海を渡る!」

そう決意したのです。

頭の中の警報は、
知らぬ間に聞こえなくなっていました。

 

思いを伝えいざ、約束の場所へ

 

数日後、彼女に意志を伝え
彼女も理解してくれました。

「とりあえず1年勝負したい」と。
「それでダメやったら潔くサッカーはやめて帰って来る」と。

そして母に会いに病院へ行きました。

「やっぱり俺は自分の夢に向かって勝負したい」と。
「死に目に会えへんかもしれんけど
 それでも行きたい」と。

そう話す私に母は
「男はそうでなくちゃあかん。頑張っといで」
言ってくれました。

うれしさとつらさと寂しさが入り混じった
なんとも複雑な思いで病室をあとにした事を
おぼえています。

そして海を渡る前に
どうしてももう一人
会っておきたい人がいました。

中退した前述の専門学校で
コーチをされていたBさんです。

その後、すぐにBさんを訪ねて
Bさんの母国にサッカー留学する事を伝え
単刀直入に質問しました。

「Bさん!俺プロになれるかな?」

ここでBさんの答えがどういう答えであっても
海を渡る決心は変えるつもりはありませんでしたが、
Bさんは即答してくれました。

「お前!いけるよ!」と。

この言葉がさらに私の背中を
力強く押してくれましたね。

それから数ヶ月後の4月、
私はそのサッカー先進国へ向かって飛ぶ
飛行機の中にいました。

 

飛行機の画像

 

紆余曲折いろいろありましたが、
なんとかスタートラインまで
たどり着く事が出来ました。

「絶対に結果を出してやる」
そういった思いで勝負の地に降り立ちました。

もうすぐ21歳をむかえようとしていた
春の事です。

 

プロ契約するも3年で引退

 

その後、1年目で二部リーグではありましたが
サッカー先進国でプロ契約の話までこぎ着け
2年目、3年目とプロとしてサッカーに
携わる事が出来ました。

サッカー先進国のレベルの高さ
プロとしての厳しさ、激しさ、貪欲さ
そのすべてを五感で感じられた経験は
私の中でかけがえのない財産となっています。

結局、この海外生活でプロとしての
現役から引退した訳ですが、
その理由については以下の記事の中で
触れています。

 

サッカーボールの画像
基本こそ最強!元プロが語るサッカーが上達するための基本の大切さこんにちは。 必死に張り切る ひしはり です。 今日は久しぶりに ビジネス関連を離れて雑記記事を 書いて行きたいと思います。...

 

いい刺激を受け合える最高の仲間たち

 

帰国して数年後、
当時付き合っていた彼女と無事に結婚して
今では長男と長女にも恵まれて
家族4人の幸せな家庭を築けています。

余談になりますが、
前述したバンドマンのリーダーが
夢に自信を失くしそうになっていた時期があったそうです。

その頃、海外でプロとして戦っていた私が
日本にいる時に自分たちのライブを見に来て
刺激を受け、そこからもう一度夢に向かって
挑戦しようと思ったんだと
当時、私の彼女から聞いて
そっちはそっちで刺激を受けたそうです。

そんなお互い刺激を受け合える
友人や仲間って最高に素敵ですよね。

本当に感謝しかないですね。

「出会ってくれてありがとう」っていう。

結局、彼らはプロとして活動出来るまでは
行きませんでしたが、夢に向かって全力で
やり切った満足感や充実感は
得られたのではないかと思います。

40代のおじさん世代になっても
たまに趣味でライブをしていますよ。

大事な事は結果がどうであれ
やろうと決めた事を
やり切れるかどうかなんだと思います。

やり切ることさえ出来たら
人生での次のステージに気持ちよく
進めるんだと思いますよ。

 

まとめ

 

今日は頭の中で「人生初の強烈な警報」
鳴り響いた体験記をご紹介しました。

誰の人生にもこうした
転機やきっかけみたいな出来事は
あるのではないでしょうか。

ちなみに「人生2回目の強烈な警報」
頭の中で鳴り響いた記事はこちらです!

 

プロフィール画像新
ひしはりの詳細プロフィールあの日、頭の中で人生2回目の強烈な警報が鳴り出した・・・      「ネットで副収入?為せば成るのか?ひしはりブログ」運営者「ひしはり」の詳細プロフィールです。いったいどんな経緯を経てパソコン初心者の40代サラリーマンが本業以外の副業としてネットビジネスにチャレンジする事になったのか、そのとんでもない人生の転機について記事にまとめています。ぜひ読んでいただけたらうれしいです。...

 

今回の記事の様に私の場合は
友人の頑張っている姿に触発されて
「このままではあかん!」と自分を
見つめ直す事が出来ました。

あの時、頭の中で警報が鳴り響かなかったら、
あそこまで思い切った行動に出る事は、
決してなかっただろうと今になっても思います。

そしてやりたかったけれど
やらなかったという後悔をずっと胸に抱え、
自分の気持ちをごまかして生きて来ていた事でしょう。

そして「やらなかった」自分への言い訳を
まわりの環境などの「やれなかった」言い訳に
すり替えて自分を正当化していたかもしれません。

あの時、本当にやり切ってよかったと
今でも思いますし、やり切った自分に対して
「よくやったな」とも思えるのです。

いつまでも煮え切れなかった自分に
神様が警報を鳴らして本当の自分の気持ちに
気づかせてもらえたと思っています。

年齢に関係なく、
今現在、目指している夢があって
でも行動に移せていない方は、
絶対にあきらめないで下さい。

行動してもしなくても
どちらを選んでも少なからず
後悔はついて来ます。

でも後悔には二通りあるんですね。

「なぜ、やってしまったんだろう」という後悔と
「なぜ、やらなかったんだろう」という後悔です。

二通りの後悔については
以下の記事にくわしくまとめていますので
ぜひ、読んでみて下さい。

 

別れ道の画像
誰の人生にもある「二通りの後悔」誰の人生にもある「二通りの後悔」について記事にまとめました。 「やらずに悔やむよりやって悔やむ」人生に後悔はつきものですが、どうせ後悔するのなら経験値となる後悔を選びましょう。...

 

人生は一度きりです。

かけがえのないたった一度の自分の人生です。

やらなかった後悔だけはしたくないものですね。

少しでも今回の記事が読んで下さった
あなたの背中をそっと押す事が
出来たとしたら幸いです。

これからも自分の気持ちをごまかさずに
まっすぐ生きたいと
必死に張り切る ひしはり でした。
今日は、ここまで。